お早うございます。「遠くの親戚よりも、近くの他人」とは言いますが、こん日のように近くの他人を嫌いになっている自分を感じた事は無い。中国、韓国、北朝鮮のやる事が”めちゃめちゃ”です。この3国が火種になり、いつ戦争になってもおかしくない状況になっています。北朝鮮を例にとって考えてみると、200発保有と言われる通常弾頭ミサイルのうち10%の20発を発射されたら相当の被害が出ると思われます。イージス艦が日本海に張り付けになっているとは言え、20発全てを打ち落とせるとは限りません。打ち損じたミサイルが東京に落ちた場合、相当の被害が出ます。もし、テトリスのように200発のミサイルが降ってきたら大変です。こんな時の手段として、近い将来国会で審議されようとしているのが「敵基地攻撃能力」についての議論です。敵基地を叩かない事にはミサイルの雨は止まないからです。真剣に議論して欲しい問題です。
上の画像は2016年9月、米ロッキード・マーティン社により日本向けに「Rollout」された F-35 Lightning IIステルス戦闘機です。敵基地攻撃は戦闘機からも可能です。その他にはイージス艦、潜水艦からもトマホークなどの敵基地攻撃兵器(ミサイル)を発射する事ができます。法体系を整備し、敵基地攻撃ミサイルを保持するだけでも抑止効果が期待されます。配備、運用開始には5年を要すると言われているので早期の「敵基地攻撃能力付与」が望まれます。
今投稿もテレビ番組により知り得た「近代木版画」の巨匠吉田博氏(1876年- 1950年)の作品を紹介いたします。狩野派、伊藤若冲、葛飾北斎、安藤広重、黒田清輝、横山大観、前田青邨、東山 魁夷、平山 郁夫 は知っていても吉田博は知りませんでした。”知らなかったのは私だけ”かもしれませんが(汗)版画とは思えない素晴らしい作品だったので敢て投稿させていただきます。吉田氏は日本の洋画家、版画家として自然を愛し、写実と詩情を重視した作風で明治、大正、昭和にかけて風景画家として活躍された人物ですが国内よりも欧米での評価が高かったようです。
旧久留米藩士・上田束秀之の次男として、久留米市に生まれ、1899年に中川八郎と共に渡米し、デトロイト美術館で「日本画家水彩画展」を開催しています。翌1900年には、ボストン美術館で2人展を開催し成功を収め、以後ヨーロッパ、エジプトなどを巡って腕を磨いたようです。日本国内では中川八郎などと共に太平洋画会を設立したが、10歳年長で政治力に長けた黒田清輝(1866-1924)率いる白馬会の後塵を拝した感は否めない。
富士拾景「朝日」(1926年)紫色の箇所は枯草なのでもう少し明るい橙色だと思います。TVではCGで色調を変更しています。
「剣山(岳)の朝」(1926年)、モルゲンロートが綺麗です。右の短い雪渓が「小窓雪渓」、長い方が「三の窓雪渓」最上部の雪渓は「長次郎谷上部」、その右がチンネ、左上が剣岳頂上です。写生した場所は鹿島槍ヶ岳と冷池山荘の中間点(布引山)付近と思われるが、もしかしたら鹿島槍ヶ岳から西(牛首山)に延びる尾根筋からの写生かもしれません。
「渓流」(1928年)渓流の泡を版画で表そうとする試みがすごい。この色調を表現するために版木を何枚も製作し、30回以上の摺りを繰り返す「多色刷り」をしています。その為、まるで水彩画のような仕上がりです。
ダイアナ妃も購入され、執務室に飾っていたと言う「光る海」(1926年)版画とは思えない精巧さです。戦後、吉田のアトリエは進駐軍の芸術サロンのようになり、占領軍司令官ダグラス・マッカーサー夫人も吉田ファンであったようです。
吉田博、最後の木版画作品となった「農家」(1946年)です。吉田博は武家の家系に生まれ、高い教養を身に着けていた事も世界に認められる早道になったと思われる。日本は”ゆとり教育”でレベルダウンしたシラバスを見直し、世界一の教育を取り戻して欲しいものです。「2番で何が悪い」と言った帰化人国会議員の言う事など論外です。
硬い蕾を割って開花したモクレン科の落葉高木「コブシ」です。芳香性があります。原産地は日本、朝鮮半島です。硬い蕾が拳に似ている事からコブシの名が付けられました。日本各地の山に自生し、最近では街路樹としても重宝されています。花が大きい割に肉薄のためかマンサクと同じように花びらがピリッとしません。時を同じくして咲き始める沈丁花ですが、何故か今年は香りが少ないような気がします。