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民謡の話 「酒田甚句」   (オニユリ)

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清野明子さん情報 1 当ブログに来て頂いた証に「清野明子」と言う民謡歌手を知って
頂けたら嬉しいです。プロフィールはここです。 2 ブックマークにも有りますが、清野明子さんのブログはここです。 3 清野明子さんの唄を聴いてみたい方は是非NHKへのリクエストをお願い致します。下記のリクエストフォーマットからお願い致します。
https://www.nhk.or.jp/minyo/mail.html
清野さんの得意な唄は「道南口説」「津軽あいや節」「秋田小原節」「秋田おばこ」「本荘追分」「秋田船方節」「外山節」「塩釜甚句」などがあります。 本日の投稿  お早うございます。  
この唄は幕末の酒田港の発展に合わせる様に花柳界などの酒の座敷で歌われたと言います。酒田港の繁栄は豪商「本間家」を語らずには始まりません。日本一の大地主は3000町歩の田畑を所有したと言います。 本間家の生い立ちは村上天皇の第四皇子(村上源氏)の子孫と言う事になっています。酒田に定着するのは本間久四郎原光(もとみつ)が分家し初代(酒田の本間家)となり、現在の旧本間本邸のある場所前に間口4間3尺、奥行き33間で新潟屋の屋号で旗揚げした。古着、染物、金物などの商いから始め、儲けた金で田地を広げて城主酒井家に米、金を献上し御用商人になって行きます。
 三代、本間四郎三郎光丘は本間家中興の祖と言われ、庄内砂丘の植林や庄内酒井家、米沢上杉家などの財政建て直しを援助し、更に商売を拡大した人物で日和山の光丘神社に祭られている。この頃に庄内藩により石高300石の士分に取り立てられている。
 その後も本間家の拡張路線は留まるところを知らず庄内藩は言うに及ばず他の藩、幕府にまでも支援の輪を広げています。明治政府に至っては70万両とも言われる莫大な援助を行っています。
 戦後本間家は農地解放などで土地を没収され、没落したとは言え「本間美術館」なども含め不動産関連企業を掌握して生き残っています。巷間囁かれた歌があります。 「本間様には及びはせぬが、せめてなりたや殿様に・・・・」  本 間 家 旧 本 邸 (旗本2000石格の書院作り) 
写真を含め本間家に関する記述は下記のURLを参考にしています。
http://homepage2.nifty.com/hekisui/honmake.htm <!-- 酒田甚句 唄い手不明 -->
日和山 沖に飛島 朝日に白帆 
月 浮かるる 最上川
船はどんどん えらい景気
今町船場町 高野の浜
毎晩御客は ドンドンシャンシャン
シャン酒田は 良い港
繁昌じゃ おまへんか 海原や 仰ぐ鳥海 あの峰高し
闇を流るる 最上川
船はどんどん えらい繁昌
さすが酒田は 大港
仙石万石横付けだんよ
ほんまに酒田は 良い港
繁昌じゃ おまへんか 庄内の 酒田名物 何よと問えば
お米に お酒に おばこ節
アラマア ホント ステキ
港音頭で 大陽気
毎晩お客は ドンドンシャンシャン
シャ酒田は良い港
繁昌じゃ おまへんか  この詩の特徴なのは各所に近畿地方の言葉が滲み出ている点でしょう。大阪の民謡と言われても信用してしまうほどです。因みに甚句とはワンコーラスが57775、7775などで唄われている形式の民謡を言います。
※日和山と言うのは光丘神社のある場所で庄内地方の名所でもありシンボル的存在でもあります。古くから日和山公園として親しまれています。   近所の民家の庭に咲いたユリ科の「オニユリ」です。良く似た花に「コオニユリ」がありますが、葉の付け根上部に直径5mmほどの青黒い「ムカゴ」を持つのが「オニユリ」です。葉の幅も少し広めです。

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